癲癇の闘病生活~長いプロローグ後編~

簡潔にまとめるはずが

前後編に分かれてしまった

 

俺は決して文章が得意なほうではない。勘弁してください。とりあえず書き進めるとしよう。

 

前編をざっくりまとめると、音楽好きの少年がなんだかんだで楽器を本格的に始めて、色々あったけど少し調子が出てきて、活動が軌道にのっていった矢先の話からスタートだ 

今から約3年前、昼間の職場で、突然倒れた私。齢30になる頃であった。

 

倒れた事は覚えていなくて、気がついたら救急車に乗っていた。初めての経験だった。職場の方によると、話していて、突然、白目向いて全身が痙攣してたらしい。もう考えただけでホラーである。とりあえず迷惑をかけた申し訳なさで心がいっぱいになった。病院ではとりあえず、過労で倒れるは一理あるよね、という判断だったが、一応、MRIとCTはとろう、ということになり検査を一通りしてその日は帰宅したのだった。

過労。ストレス。音楽で仕事がある、ということは練習でスケジュールが抑えられたり、自分で調整しなきゃいけなかったりクライアントから無茶ぶりされたり、即応しなきゃいけなかったり、そんなこと日常茶飯事である。昼間も働いてそんなモチベーションを維持するというのは自分にとって知らず知らず負担になっていたのかもしれないと思ったりもした。その時はもう少し体調管理をしようかな、くらいの反省しかしていなかった。

2、3日して、MRIとCTの結果を聞きに病院に行くことになった。脳みその画像を医者と確認しながら、結果を伝えられた。医者「WDKKさんの脳の海馬あたりに小さな石灰化が見られますね、もしかしたらここが震源地になって発作が起きていた可能性があります。」俺「発作?震源地?どういうことでしょうか?」医者「脳の神経系が何らかの要因で過剰に興奮すると脳が異常な電気信号を発生させて結果的に痙攣などの症状を引き起こすことがあります。それが癲癇(てんかん)です。」俺「私がそのてんかんの可

能性があるということでしょうか。」医者「そうです。病侯性のてんかんの方は石灰化の周辺に腫瘍があったりすることがあります。WDKKさんの場合、それが見受けられないので、今のところ原因は不明です。」俺「え?そうしたらどうすればいいのでしょうか。」医者「とにかくてんかんだった場合、特有の脳波が確認されることがありますのでもういちどCTで脳波を検査してみましょう。そこでそういった脳波が確認された場合、投薬治療から始めていくということになります。」と医者が俺の現状とその先について述べる度に目の前が真っ青になっていった。脳に石?てんかん?投薬?大きな病気なんてインフルエンザぐらいしか、かかったことのない俺には未知なる宇宙への探訪だった。ていうか明日ブラックホールに、生身でとっこんでもらいますんでよろしくおねがいします。って言われたような気分ていうのが正しいか。

 

そののち、結局すがすがしいくらいにわかりやすい脳波で一発てんかん認定された俺。投薬治療が始まった。その後何回か発作を起こし、職を追われ、公安に目をつけられ、とんとん拍子に車の免許も没収されて、打楽器奏者の俺は自分の機材を運べないので見事活動できない状態に落ちていったのだった。

 

このままでは終わらん、終わらせんぞ、、俺の体、、

 

別にビルでも爆破するかとかそういう方向に行くわけではない。この病は俺自身に無茶を強いて来たことに対するツケであるという側面もあると思う。なので、このしりぬぐいは自分自身でしなければならない。何でもかんでもやってやろうじゃないか。

というわけで、この世には俺以外でもてんかんで困っている人がゴマンといる。俺なんかよりよっぽど頭抱えて生きているひともいっぱいいる。

困っている人、卑屈になってクローズしている人が少しでも病状改善に対するヒントになったり、勇気がでたり、てんかんの治療に関する情報をフランクに発信、共有できるようなブログを書けないだろうか。ということでこのブログを書き始めた。

 

俺は無駄に前向きである。現在は一応仕事もしている。演奏活動もできる範囲でしているし、免許もまだあきらめていない。仕事探しの話や自らがモルモットになってサプリとか、民間療法とか体操とかためしてみた事、よかったこと、失敗したことをブログという形で少しずつ残していきたいと思っている。

 

無駄に文量が多くなってしまった。最後まで読んでくれた方に感謝したい。次回からは色々やってみた事、やってみてる事等をサラッと書いていきたい。