癲癇との闘病生活~長いプロローグ前編~

 

人生の終わりの順番みたいのが回ってきたようだと思った。

 

まぶしくて眩暈がする。もう何も変化のないアスファルトでも眺めてたほうがなんぼかいい。お日様とか大嫌いだ。

みじっっかい人生だったなあ~まだ何にもしてないのにな~。こんなことなら、もっと人助けとか、いたずらとか、冒険とかして、旨いもんでも食っとけばよかったって。まだプリンスが生きてるうちにLIVE観ておけばよかったって。色んな思いが頭の中を駆け巡る。ああ交通渋滞だ。事故ってる事故ってる。とにかく最低だ。死ぬならどこがいいだろうか。餓死か。飛び降りか。練炭か。火あぶりだけはごめんだな。とか、できもしないことを考えて自分のダサさにまたあきれる。みたいなループ。

 

てだれしも大なり小なりありますよねー

 

ない人もいるんだろうけど。少なくとも小市民である俺には襲い掛かってきた、なんだろうな。ただの想念だ。

 

そんなオナニーを読んでもらうためにブログなんて手段に及んだわけじゃない。これは導入。

 

なんで俺がこんなクソな気持ちになったかっていうのか。そしてブログなんて手段に及んだのか。まず少し身の上話をしなくちゃならない。

 

俺は音楽がすきだ。小さい頃に親にピアノ習わせてもらったのがきっかけ。他にも打楽器とか、弦楽器とかもやってみた。周りの影響もあったし、色々な音楽をDigったりアーティストの曲に対する思いとかそういう、うんちくを堪能するのは、収集癖のある少年にとっては格好の遊びで。また、そんなことを通じて色々な文化にふれてるうちにどんどんのめり込んでいった。で大人になって。仕事するかーって時に結局、なんか楽器を色々やったけど色々中途半端だったな、と思った。この先なんか仕事しつつ、一つだけでも楽器を突き詰めていければなと思っていた。で、打楽器を選んだ俺は働きながら打楽器奏者として活動をし始めた。大体10年くらい前の話。そのうち自分でトラックを作って電子音楽と絡めたshowcaseをCLUBとかでやり始めたりした。地道に活動していって人脈も徐々に広がっていき一人だった活動がユニットになり、バンドになり、少しづつ仕事も入ってくるようになっていった。

 

その矢先だった。今思うと浮足立ってたんだと思う。